ハッピーアースディビデオ会議初参加

こんにちは、今日はミミズコンポストの話ではありません。最近毎年参加させていただいているハッピーアースデイ大阪からビデオ会議のお知らせをいただき参加させていただきました。私ビデオ会議は初めてだったので何も用意せずに臨んだのですがカメラもマイクもないためうまくコミュニケーションが取れず残念でした。対面であっても複数の人とテーマに沿って意見を交わしたこともなかったのでそのルールも礼儀も知らないまま参加したのでご気分を悪くされた方もいたかもしれません。でも実はわざと調べなかったんです。一度自分の思いのまま話し合ってみたかったのです。ルールだ礼儀だ効果だといったことは大切です。ともすればそれで自分の意見を通すことに重きを置いてしまうこともあります。やはり人は自分の意見が通るとうれしい。もちろん私もうれしい、でも私は人の心からの意見が聞きたい聞いてみたい我慢した意見ではなく私の意見にも心からの意見が聞きたい。だってせっかくインターネットで利害関係のない赤の他人が一夜限りの話をするのだから私はどんな意見でも心からの意見が聞きたいのです。でもやはりみなさん、意見に対する意見は言わなかったように感じます。もちろん行き過ぎは困りますが、、、。今日はその時出たテーマに対する私の意見を載せたいと思います。

 テーマ:ごみのポイ捨てについてです。

私の意見としては以前にも少し触れましたが公園や公道にごみ箱を置くというものです。25年前のオウムの事件以降公園や公道からごみ箱が消えました。理由はテロに利用される可能性からです。その後JRのごみ箱も透明になりました。ただこの25年の間にちょっとおかしい人以外も平気でポイ捨てするようになったと思います。そもそもそれより前から公園や公道に家庭ごみを捨てる人がいて問題になっていましたがオウムに格好

つけてゴミ箱の維持に使われていた維持費を片付けた形となりました。しかし結果起こったことは公園はゴミだらけそこで遊ぶ子供たちはそれが当たり前として育ち、その子どもたちもゴミを捨てそしてその子たちがそのまま大人となりゴミをポイ捨てする。私が子供のころには公園にごみ箱があり分別もなかったのでみんな近くのゴミ箱に捨てていました。それが普通でした。私の地域は都会で、ごみ収集に特別お金がかかるわけでもなく(住民税の範囲)家の前に各家庭のゴミ箱が置いてあり子供たちがそばにあるごみ箱にその時のゴミを捨てていました。もちろん大人は捨てていなかったと思いますが子供であれば何も言われなかったのかもしれません。もちろんその後分別が始まりそれはなくなりましたがゴミをポイ捨てにするという事はちょっと悪ぶるくらいのものだったのです。ゴミを近くのゴミ箱に捨てることがいいか悪いかは時代や地域によるものですが私は特に悪かったとは思っていません。この先にもし私たちが呼吸して吐いた二酸化炭素を回収できる技術ができて未来の人が昔はひどかったと言うでしょうか?言わないでしょう、それと一緒なのです。まずはポイ捨てなんてちょっとおかしい人がするという感覚を戻すことです。

 他の方の意見

・そもそもゴミは持ち帰るべき当たり前のことである。そのような教育が大切論。

この件に関して私は反対はしませんが効果があるとは思えません。そもそももう遅いのです。これだけポイ捨て当たり前の日本人が増え外国の方にも日本人はポイ捨てするとおもわれているほど悪化してゴミだらけの状態なのに持って帰るわけがないのです。そういうことはまずごみのない状態を覚えさせてから持って帰るにしないとただの机上の空論になってしまうのです。そして現実そのようになってます。教育と言いますがもう親世代もポイ捨て世代です。教育現場でも当たり前に教えていてこれなのです。その上でこの方法を続けるならもっと実効性のあるもの考えなければいけません。もちろん山などの場合は持ち帰りが当たり前でよほどの異常者でなければポイ捨てなどしないでしょうから持ち帰り指導は有効であるかと考えます。

・法制度で取り締まる。

失礼ながら本当に失礼ながらすみません。ストレートに言うと、気を悪くしないでいただきたいのですが、本気でこの問題に取り組む気があるのか耳を疑います。これはきれいごとの象徴です。いちいち細かい説明は省きますが不法投棄ならばいざ知らずただのポイ捨てで取り締まられた人をある程度ひどい人でさえ聞いたことがありません。もしこれを本気でおっしゃっているのなら本気でバシバシポイ捨ての人を摘発するための計画を具体的に実行しようとしていない限り恐らくご自身でもわかりながら言っているとしか言いようがありません。この割と時間を割いた回答についてはここまではっきりとではありませんでしたが法律に照らす案は支持されませんでした。それでもその後もその主張を法律第何条~云々の話を再び披露されていましたが摘発に向けての意欲は全く感じられませんでした。

・教育問題論

誠にごもっともながらやはり私でさえ自分の子供に実践させるのは自信がありません。以前水風船の話を載せましたがあれもいつ皆に無視されるか、いつお友達のゴミを押し付けられるかと思うと正直心配です。よほど権力がある子でないと無理です。

・ご時世論

最近の子供たちは忙しいからゴミをいちいち家に持って帰るのは無理。

これには反対です。その理屈はおかしい。それは言い過ぎです。塾行く前にカップ麺食べて捨てて帰るのはしょうがないは同情の域を逸脱しています。悪いけど私にとってすみません失礼ながら異常者の部類です。

・ゴミを捨てる人間が悪いのか作る側が悪いのか論。

ちょっとよくわからなかったのですがどんな理由があろうとこれに関してはしつけする親、と本人が悪いと思います。ゴミ箱がなくともどんなに過剰包装でごみが出ようとポイ捨ての問題とこの問題は関係ありません。もちろんポイ捨て時の量は減るかもしれませんが根本的解決ではなくただの一回当たりのポイ捨て量の問題になってしまいます。串一本とてポイ捨てはおかしいのです。なんでも悪いと思うことを悪いと思わないでいただきたい。もっと自然に感情のままに感じて思っていいのです。その上での話なのだと思っています。

 

とまあこんな感じでした。その後ゴミを捨てる人の心理の話になりました。 

なぜ人はポイ捨てをするのか?です。ちなみに私のポイ捨てと言うのは産業廃棄物の投棄ではありません。あれはまた別の分野と対処それこそ法の世界だと思います。

この件に関して妥当性を持って答えた方がいたのかはわかりませんが私自身はこれではないかという答えがあります。人は育った環境に良くも悪くも影響を受けると思います。もちろんそんな事に流されず清廉潔白に生きている方は素晴らしい、ただ私はそうではありませんでした。結婚後引っ越してきた堺で驚いたのは路上駐輪がないことです。みんな駐輪所を利用します。私は、、、悪い人間でした。駐輪所にお金を払うなんて!と思っていました、、。そして地元大阪市は路上駐輪天国でした(今は改善されて私も心を入れ替えて駐輪場を使うようにしています)。恐らくこの心理です。育った環境がきっとポイ捨て天国だと持って帰るなんて教えられても守れないのです。だから私は今の家の近所のポイ捨てメッカの通学路のごみ拾いを始めました。何にも属さず子供もいなかった無職の私には近所の人の目が気になりました。宗教団体、子どもがほしい人さらい?不審者?などと思われていないか?時間は通学時間より早く始めてそれまでに終了させるように気を遣いました。それ以外の大人の目は気にしないことにしました。私は無職でこのまま子供もできないかもしれない、そして日本経済にも貢献できない、世界に何も貢献できない、子どもの相手も苦手、社交性もない、そんな大人の私が子供たちに何ができる?そんな時にこの場所が目につきました。年に2回の町内会のごみ拾いでは焼け石に水でも一週間に一回なら?効果は何年もかかりました。通勤途中の人とは目を合わさずさっさとゴミを拾いまくって帰る。これを続けるだけ。最初は儀礼的に挨拶をしていた見守りのおじいちゃん(この人たちは本当にすごい)と数年後には目に見えない無言の同志のような関係になりました。10年間一度も話したことはなかったのに突然話かけられお互いをたたえ合いました。話は逸れましたが環境なのです。きっとこの10年間の間にあの道を通った子はポイ捨てが当たり前ではない世代になったはずです。なぜか?私は何も考えずにごみ拾いをしているわけではありません。ポイ捨てのメッカだったのです。そこを狙って拾ったのです。そこで捨てにくい雰囲気を作ることが大切なのです。

ポイ捨てをさせないようにする方法、ここで大切なのは捨てにくい雰囲気を作ることなのです。これはとても有効であり大切です。

・畑に捨てられるポイ捨て

私も見たことがあります。家の近くの畑や田んぼにわざわざ投げ入れられているのです。昔見知らぬ子供が投げたのを見たこともあります。愕然としました。やはりそこまでいくとそれこそしつけ教育環境が必要かと思います。大阪は都会なのである程度のゴミは家庭ごみとして住民税の範囲内で回収してもらえますが田舎の方だと袋が有料だったりするので負担は計り知れません。特に田畑は持ち主の管理に任されるので誰かが掃除してくれないからショックも大きいですよね。私も心が痛みます。対策は地域の環境の底上げですかね?

・奈良のポイ捨ての話も興味深いのですがこれ以上長くなると駄目なのでまた2月のミミズコンポストのサブテーマに入れたいと思います。

以上大まかではありますがビデオ会議の私の回答です。初めてのビデオ会議新鮮で面白かったです。